一緒にいる時間=介護

  • 2008/01/12(土) 00:54:51

ここしばらく、夜は介護されてるご家族の
ブログを探して読んでました。
(これまた結構、遅くなるのよね、寝るのが)
いちいち読んでまわるのが面倒で、
思いついたのがRSS.

RSSリーダーについて、まず
何者で使い方はどうするかということ、メリット
について・・・などなど調べかけてやめて
ほっておいたのですが改めて再びお勉強。

――よく見かける、ぽちっとついてるRSSのマーク。

これはなんぞ?とクリックしても意味がわからない
ページが開く。
これをどうにかするソフトがあるようだ。。。

と、そこまではわかっていたのですが。
RSSリーダーなるものを導入すれば、
その意味不明なリンクが
意味鮮明なものになると。

フリーで使いやすいリーダーを探すのがまた
一苦労。

ツールバーに表記される、テロップタイプのものを入れたら
いっとき凍ってしまいました。
これは重い・・・^^;

でアンインストールしてまた探し。。。

まずまずなのをひとつ、やっといれて使い始めました。

身につまされるお話の多いなか、
あれこれとサイトを登録して
やっとひといき。
いろんなパターンがあるのだな〜
やっぱし勉強不足だった。

・・・だけど共通していること。
認知症の高齢者を抱える家族は、当初当惑し
混乱し、ショックをうけ・・・
結局、家族ごとにあるいは
家族ひとりひとりが、
孤独で不安なんです

ひとりひとりの性格とおなじように
ひとりひとり違う病状、進行。
いつ終わるとも知れぬ、看病のくらし。
お金のこと、病人を思う心痛。
・・・不安定な、不備のある高齢者と周囲の環境。

暮らしと介護の両立、
暴力、暴言、徘徊。
おそいくる不眠、疲れ。
未来への不安エトセトラ、エトセトラ。

その中から、必死でつむぎだされているのを
感じられる言葉たち。
ある日は楽しく、ある日は悲惨で。

そんな毎日だからこそ、更新も不定期でありがちだし
長期お休みもざらだし。
やっと見つけたと思ったらすぐ
本人がお亡くなりになってしまったり。

見つけて読んでいただけでも
3サイトで、介護される方のほうがなくなる形で
ブログがとまってしまいました・・・。
で、リーダーをいれようと思ったというわけで。

介護・・・それは終わるときは、亡くなるとき。

体は辛い、でも生きてるからこその病人を抱える毎日。
体は楽になる、 だけどとりかえしのつかないものを失う日。

続いても終わってもどっちにしたって苦しい。

続く限り苦しく、
終わるときも悲しい。

介護疲れとか
高齢者一人世帯の問題とか事件。
つい最近まで他人事のようにどこか思っていたことでしたが
・・・やはり現実となってみるといろいろ思うこと
感じることはあります。

終わりがない
あるいは終わるときを、希望とできないのだと
思わされます。

・・・・つくづく
日常生活でのささいなことでも
相対し方についてあれこれ悩みます。

そういうときに、同じようなご家族の方の
気持ちや、とった方法などを読むと
たとえ同じことはできなくても
どこか連帯感を勝手に感じて安心してしまうのです。

今もどこかで、おなじように途方にくれてる
ご家族がいて、おなじようにあがいて
もがいて、なんとか今日を生きている。

そう思うとなんとなくなんとかなるさと
思えてくるから不思議。

ネットもなく、同じケースに出会ったこともなく
家族なんだから、家族なのにと言われ
たった一人でさまよっていた虐待問題のころと違い。

半老老介護であり、半遠距離介護であるうちのケース。
老人ふたりのうち、ひとりは脳梗塞、脳出血と
二度の疾患により半身まひ。

そして去年、一方も梗塞をわずらい認知症を発症。

・・・・その老人の子供たちは
どちらも独立して他の場所で家庭、仕事を持っていて。
すでによその地域に根ざして社会生活を営んでいて。

まちがっても裕福でない暮らしを送り、
だけどつましいながらも最近までは
結構にぎやかな老後だったはずだった。

それが暗転につぐ暗転で今の状況に。

わたしはあまり、泣いたりはしないたちだけれど
お二人は暮らしのあちこちで
お互いがお互いの気持ちになって
パニックに陥ったり
あるときは沈んでおちこんで、うつうつと
・・・長生きしてもいいことはない
と言ったり
かわいそう、を連発して涙ぐんだり。
死んだほうがよかった
さようならといってみたり。
・・・・・・・・自殺未遂をしてみたり。

一緒になって泣きたい気持ちにかられることは
多々ある。
寝られない夜。
ぼろぼろに破壊された部屋。
仕事で疲れた体でかけつけなければならぬとき。
・・・そして本人ににらまれ、憎まれるとき。

だけどうちそろって泣いていてもどうなるものでもなし。


やはり立ち上がらねばなりません。
いつかは・・・。
ある種、それは私には見慣れた光景でもあり・・・
感触でもある。

どうせ立つなら希望を持って。
今を意味あるものと思おう。

たとえ夢であろうとも、本人がつらいのに
周囲まで一緒に辛い顔をしていて
誰が助かるというのか。

周囲が辛い顔をして泣いてくれたって
本人の苦しみは軽くはならないのだから。
誰かが泣いていたらむしろ、正気に戻るときに
もっと自分をせめたりする。

ならば、せめてまわりだけは
そういう人をそういう人なりに受け入れて
そんな今日でも
なんとかあたりまえに生きたい。

ほとんど、絶望にちかい。
よくなるみとおしもない。

だけど。

まちがいなく生きてるんだから。
どんなに変わってもかけがえない人、
わたしと重なるいち歴史を持った
ひとりの人には違いない。

まして
おじいちゃんおばあちゃんと共有した時間は
まちがいなくあったかかった。

――その無数の日々をおもえば
泣き続けてはいたくない。

どう生きたとて、いつかは終わる日々。
介護の場合苦労の終わるその日は、
悲しくも、その人がこの世から
いなくなる日。

こうやって苦悩してるそのときが
唯一共有できるものなら
それとなんとか共存していきたい。
泣くときもあるし、辛いときもあるし
寝られない夜もあるけれど。

・・・・やっぱり、なにかひとつぶでも
あったかいものを渡したい。

それがあたりまえに暮らすということの、
日常の中にしかないのなら
そこになんとか光を見出したい。
一緒に。

 

もしかしたら・・・??

  • 2008/01/09(水) 21:50:25

初めからどうも疑いを晴らしきれず、かといって軽々しく口にすることもならずで悶々としてること。
お義父さんの症状はひょっとして、統合失調症ではないのかと(併発)常々思うのだけれど。
すれ違った見知らぬ誰かが、自分に何事か悪事をたくらんでるとか、みんなが遺産をねらっているとか、
知らない人がドアをたたくので眠れないとか。
火をつけられるからつけ帰すとか
さされるから殺すとか
・・・結構ずっと言ってるんですよね。

それで処方された薬を飲むと活力がなくなり、
デイサービスにも参加せず
あらゆる療法にも動かなくなる。
おきているが寝てる状態。
だから夜も寝ない。


調べると、結構認知症と統合失調を併発してる人は
存在するみたいなんですよね。(それとも単に処方上の方便??)
そもそもこんな高齢になってから、
はじめて統合失調が出る人がいるのか
疑問ですが。

・・・・そうといっても多分
もらってる薬に間違いはないと思うし
家にいて家族にかこまれ世話されている状態自体が
もともとプライドの高い本人の
ストレスであることにも間違いないと思うので
入退院の繰り返しで家族と距離を置く期間を
作るくらいしか解決策もなく
今のところたいして現実的にとれる策に違いもない
のだけれど。

これだけ多種多様な症状が出ながら
先生が、認知症ですと、はっきり言ってくださらない
こともなんかひっかかっています。