うちの場合は・・今までをふりかえって

  • 2008/06/24(火) 01:04:45

うちのじいちゃんは、「幻視や妄想がひどいこと」 から症状がはじまりました。 ですから、なにより保護してくれる場所が必要でした。 認知症症状、記憶障害はいわゆるボケとしては目立ちませんでした。 はじめから、小用を失敗、トイレの場所がわからなくなる ということがドンと出てましたので、 そういう意味でも家族のしんどさはいきなりで だんだん出てくるとよく聞く話とは違いました。 結局、何度か行った精神科で救急でいき強制で 保護入院の形をとれたので そのまま、入院してもらいお薬の微調整をしつづけ 数ヶ月して落ち着いて出ることができました。(精神状態) しかし、そのときにはパーキンソンの体の症状が 徐々にでてきている状態でした。 このままずっと入院していてもらわないと家族がだめになる と思いつめた時期もありましたが、強力な医師のすすめもあって なんとか施設も見つけていただいて 老老介護と中距離介護ですが、 なんとか自宅療養にこぎつけることができました。 もっともその頃には、元に戻ることではなく 今の落ち着いた状態を少しでも存続させることが 家族の願いとなっていました。

いっしょに生きようね

  • 2008/03/31(月) 20:37:36

(1月末〜2月ごろのことを思い起こしてみれば・・・)

おじいちゃんが入院するまえ、
わたしたちは疲労困憊していました。

覚悟もありませんでしたし、なによりも
おじいちゃんが変わってしまった、ということに
ショックを受けていました。

今まではおばあちゃんが麻痺ということで、
おばあちゃんに気遣って暮らしてきました。
しかしおじいちゃんがそれより高齢であるということを
不覚にも忘れていたのです。

夏、秋から冬のはじめ
毎日、罵倒され妄想に振り回され、悩まされ、傷つき疲れていました。
なんとかおじいちゃんの心中を図ろうとするのですが
それも難しいことでした。
症状は一定せず、この先どうなってしまうのか、
とても不安でした。
おばあちゃんが介護を受けられることは当たり前になっていても、
おじいちゃんが介護を受けられる可能性まで考えつかないほど、
おばちゃんはおじいちゃんに生活上で頼り、
かつ、以前のおじいちゃんはエネルギッシュで元気でした。

今思えばおじいちゃんの心中こそ、
「自分がこうなってしまったら、おばあちゃんは
どうやって暮らしていくのか?」
ということの不安で、一杯だったろうと思います。

周囲の人間の不安を、ほんとうに的確に、おじいちゃんの妄想はついていました。
不思議とリンクしてました。

何度目かの入院の際、
おじいちゃんは自殺未遂をしました。
軽いかすり傷程度ですみましたが、
それをきっかけに薬もまた変わりました

そして、おじいちゃんの心境も
そこから変わっていったように思います。あきらめというか・・。
解放というか・・・何かを脱ぎ捨てたように。

そしてわたしたちの気持ちも、いつしか
ショックから立ち直り、これからどうするかに向けて、
前向きになりつつありました。

まず周囲に認知症を告白して外向きに宣言し、
オープンにするようになって
おじいちゃんの介護が悪夢から現実となり、
じょじょに、心境も明るくなりました。

と同時に、おじいちゃんはみずから、
閉ざしてしまった家族の心のドアを、叩いてくれたのです。

遺書という形をもって。

妄想や幻覚という症状に自覚があるおじいちゃんでした。
そしてその奥には、変わらぬおじいちゃんその人がいました。

わたしははじめて遺書を目にしたとき、
涙がこぼれました、胸の奥が熱くなるのを感じました。

――おじいちゃんは苦しみながらも、
見守っていてくれたんだ。
わたしたちが戸惑い驚きあわてているのを、
心底心配してくれていたんだ。

・・・・自らの行動によって、家族の心を再び
溶かしてくれたのは、
おじいちゃんその人でした。

力にならせてもらおう、
そのとき、ほんとうにそう思えました。

少しずつ、覚悟もできました。

変わってしまったのではない。
病気に隠されてしまっていただけ。

そうテレビの番組でどこかの医師も言っていた。
そのとおりだ。そう思う。

なんと苦しく、悲しい思いをさせてしまっただろう。

・・・深い後悔がおそいました。


そして、退院が決まったころに、おじいちゃんは
わたしたちの覚悟を読んだみたいに、
はじめてお礼をいってくれました。

私たちが心を溶かされてまもなくのことでした。


遺書の内容に心を溶かしてもらった私たち。

私たちの覚悟に、ありがとうとお礼を言ってくれたおじいちゃん

どっちが先なのか、
・・・・・・あるいはどちらも同時に進行していたことなのか。

元気だったころのおじいちゃんは、
プライドが出て見えにくかったり
わざとちょっとひねくれたフリをしたり、
私には、よくわからない部分が常にあるようでした。

本心の周囲を、過去の傷やそこからの人間不信で覆っているような。

けれど自殺に失敗してからだんだん、何か
覆っていたものを脱ぎ捨てていっているように見えます。

元気だったころにときどき見せた
はにかんだような笑顔のように、
あたたかな、ひとなつこい、
家族思いで子煩悩な・・・・

ああ、もともとは
やっぱりこういう人だったんだなあって嬉しく思います。

わたしは他の家のお父さんというものを、はじめて内側から
みる気がしますが、それにつけても
うちの人は、ほんとにいいお父さんを持ったものだ
と思います。

この病気になってはじめて、父親と
こんなに沢山話した、という
うちの人も、
こんなに素直に本心をさらけだしているおじいちゃんを、
はじめて見るそうです。

それは周りの人の心を溶かした、おじいちゃんの本性なのでしょう。

わたしたちは気持ちをお互いに反映させている。

私は、はっきり認識しました。

先生に言われたときは、
到底受け入れられなかったけれど

やはり戸惑いは戸惑いを映し、
迷いや不安は妄想を映し出し
覚悟が許容を、また許容が覚悟の道を
照らしだしたように思えます。

わたしたちは病によって引き寄せられ、
喧嘩し、腹をたて、泣いて、許しあい、また話し合い、
そうやって育てられているのかも知れません。
自分で垣根をとりのぞけなかったから。

そう思えばまた
人間同士がこんなに間近に接近できることも、
病のおかげといえるかもしれないと
思います。

これからどれくらいの時をいっしょに過ごせるかは
わからない。
でも生きている限りは命があるのだもの。

いのちある限りいきようね、おじいちゃん。
いっしょに。

うつ病でも統合失調でもなく

  • 2008/02/10(日) 01:56:42

たまに、トイレの場所がわからなくなる。
ドアの開け方、電機のつけかたがわからなくなる。
病院でもしばしば道がわからなくなる。
部屋の場所も、人の顔も。
でも、いちおうトイレもできる。
しばしば、口を変なところへ持っていくことはある。
だけどご飯も食べられる。
服を着られる、ゆっくり歩ける。

しばしば字が読めない。
しばしば字が書けない。
だけど、
書くこともあり読むこともある。
さて現在。
・・・・何をするにもいやになってしまうのだそうだ
死にたいと最近よくいう。
幸せに暮らしてくださいと。

どうも、知らない人がよくいるらしい。
子供だったり怖い人だったりする。
動物であることもあり鳥や魚なこともある。
(たぶん)大半はそれで、しんどいのだそうだ。
今は病院は強制収用所で、いじめられていると訴える。
少しまえまで、家族にいじめられていたわけですが・・・。

認知症のことを調べると、たいていアルツハイマーでは
こういう症状は中期以降にでることになってる。

だけど、うちのじいちゃんの場合ははじめから。
家にトラックが乗り込んできた。
ドアを夜中にダンダン叩く人がいる。
いやそれよりまえに、ものかげに人がひそんだいたり
見張っていたりしたらしい。
自室に大人数が攻め込んできたこともあるという。

家族からみれば夜中に騒ぎ、人を攻撃していたわけなんだけれど。
それには本人だけにはわけがあった。

そして、最近は盗聴器で聞かれているから
といってひそひそと話す。

私は内心、うつ病か、それとも統合失調症(昔の分裂病)かと疑った。
(前に、こちらでも書きました。)
だけど、それとよく間違われるレビー小体型認知症という
変性性認知症らしい。
脳血管性認知症も併発している。

側頭部と、後頭部深部の血流が特に悪いということがわかった。

レビー小体型は、速くから幻視、妄想がでるらしい。
今心配されているのがパーキンソンと似た症状がでてきて
骨折して寝たきりになってしまうこと。

・・・・抑肝散、リスパダール。
アリセプト追加、とお薬もかわっっていった。
老老介護のわがやは、直接はやはり同居である要介護3の人が
要支援2の人を看ることになってしまう。

だから妄想、暴力暴言が激しいと
ずっと入院していてもらいたいとさえ思ったのだが

・・・しかし思えばそれもいつまで続くことか。
限られた命、残された限られた時間を、できる限りの手をつくして
有意義にすごすために
できうるかぎり自宅で過ごし、
不定期に利用させてもらえる施設を探している。

ケアマネージャーさん、地域医療相談の方々に
お世話になっています。

よいお医者さま、よいスタッフのかたがたにめぐまれて
ほんとにそこのところは感謝しなければ。

遠距離介護として、わたしたちにできる支援はなにか。
かわりゆく状態に応じてわたしたちも
臨機応変に対処していかなればいけません。

ところで私は胃潰瘍をわずらってしまいました。
そっちの治療も、家族のためにないがしろにはできません。

お金はかせがないといけないので仕事もやめられません。

バランス感覚が大切なんだけど
わたしはいれこむ性質だから・・・
なかなかこれが難しい。
ほどほどに人任せ、これが大切かもしれませんね。

このときのこと

  • 2007/12/06(木) 02:45:27

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このころのこと

  • 2007/10/25(木) 02:28:49

この頃のくわしいこと・・・↓

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このときのこと

  • 2007/08/04(土) 01:41:59

※詳しいこと

再入院は、病状がひどくなり
トイレにいかず、庭でしてしまったり
字が読めないと言い出したため、
また梗塞を起こしたのでは?
と思ってまず受診しました。

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MRIが

  • 2007/07/09(月) 23:37:19


※詳しいこと
入院中に、ほんとは一度、
MRIの検査があるはずでした。
だけど、じいちゃんの拒否でできませんでした。

・・・ドアをがんがん叩く人がいて
うるさくてうるさくて・・・

とのことでした。

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